フィンランド人はなぜ「学校教育」だけで英語が話せるのか

「たくさん教えているのに、使えるようにならない」という違和感から

「文法も単語も、これだけ教えている。
それでも、“話してみよう”となると、生徒の口が止まる。」

英語を教えていると、多くの教師が一度は感じる違和感ではないでしょうか。
努力が足りないわけでも、授業をしていないわけでもない。
それでも、英語を使う場面になると、教室の空気が重くなる。

本書『フィンランド人はなぜ「学校教育」だけで英語が話せるのか』は、
この違和感に対して、
「日本の英語教育は遅れている」「もっと頑張るべきだ」といった
単純な結論を出す本ではありません。

本書が問いかけてくるのは、
**「英語をどう教えるか」以前に、
「学習をどう設計しているのか」**という視点です。


この本は「フィンランド礼賛」の本ではない

タイトルだけを見ると、
「フィンランドはすごい」「日本はダメだ」という比較論に見えるかもしれません。
しかし、実際に読んでみると印象はかなり違います。

著者は、

  • フィンランドの教育制度
  • 第二言語習得研究(SLA)
  • 学校教育としての英語授業

これらを冷静に切り分けながら整理しています。

そのため本書は、
「フィンランドだからできた話」
「日本では無理な話」
で終わる内容ではありません。

制度ではなく、考え方に目を向けさせる本だと感じました。


フィンランドの英語教育で注目すべき点

本書を通して特に印象に残るのは、
英語が「教科」である前に、
言語活動として一貫して設計されているという点です。

たとえば、

  • 正確さよりも、まず「意味が通じた経験」を重視している
  • 英語を使う必然性のあるタスクが、授業の中心に置かれている
  • 評価が、学習を萎縮させる位置に置かれていない

これらは、
「フィンランドだから特別」なのではなく、
言語がどのように身につくかを前提にした結果だと読み取れます。


母語使用は「悪」なのか

― 本書を読んで最も印象に残ったこと

本書を読んで、特に印象に残った点があります。
それは、フィンランドの英語教師が、母語を意図的に使用しているという事実です。

文法説明、アクティビティーの進め方、エクササイズの指示。
こうした場面では、母語が活用されています。
一方で、紹介されている教師は皆、英語を非常に流暢に使っています。

ここで重要なのは、
「母語を使うこと」と「英語力が高いこと」が、
矛盾するものとして扱われていない
点です。

母語使用は、英語から逃げるための手段ではなく、
学習を前に進めるための「選択肢」として使われている。
この姿勢は、日本の英語教育を考える上でも、大きな示唆を与えてくれます。


母語使用が問題になるのは、どんなときか

日本の英語授業では、
「できるだけ英語で行うべきだ」
「日本語を使うと英語力が伸びない」
といった言説が強調されがちです。

もちろん、英語に触れる量が重要であることは間違いありません。
しかし本書を通して感じたのは、
問題は母語使用そのものではなく、
教師がどんな英語を提供できているか
という点です。

教師自身が英語を使いこなし、
意味のあるやりとりを日常的に示しているのであれば、
説明や指示の場面で母語を使うことが、
直ちに学習の妨げになるとは限りません。


日本人英語教師に求められているものは何か

― SLAの視点とつなげて考える

母語使用が悪なのではない。
しかし同時に、
「だから英語力はそれほど必要ない」という話でもありません。

本書を読んで強く感じたのは、
教師自身が、どれだけ質の高い英語を日常的に示せているか
が、学習環境を大きく左右しているという点です。

第二言語習得研究の視点から見ても、
学習者が言語を身につけるためには、
意味が理解でき、かつ少し背伸びした英語(理解可能なインプット)
に継続的に触れることが重要だとされています。

これは、

  • インプットの量と質
  • 言語形式への「気づき(Noticing)」
  • 不安や緊張を下げる学習環境

といった点で、
第二言語習得理論とも深くつながっています。

フィンランドの英語教育は、
理論を掲げて実践しているわけではありません。
しかし結果として、
理論と整合する実践が積み重ねられている
――その点にこそ、本書の価値があるように感じました。


日本の英語授業に「持ち帰れるもの」

フィンランドの教育制度を、そのまま日本に導入することはできません。
授業時数や評価制度も、大きく異なります。

それでも、
授業の設計や教師の判断レベルで持ち帰れる視点は多くあります。

  • 正しく話せてから使わせる、という順序を見直す
  • 間違いを「修正すべき失敗」ではなく「学習の途中」と捉える
  • 文法項目ではなく、「何を伝えたいか」から活動を設計する

これらは、
制度を変えなくても、授業の中で少しずつ試せる視点です。


おわりに

― なぜ Learn Nova Praxis では理論を扱うのか

Learn Nova Praxis では、
第二言語習得理論や教育理論を扱う記事を多く掲載しています。
それは、理論そのものを学ぶことが目的だからではありません。

授業で起きていることを、
感覚や経験だけで片づけてしまうのではなく、
なぜそうなるのか、どうしてうまくいくのかを考えるための
「言葉」として理論を使いたい

――そんな思いがあるからです。

本書で紹介されているフィンランドの英語教育も、
理論を掲げて行われているわけではありません。
それでも結果として、
第二言語習得研究と整合する実践が積み重ねられています。

だからこそ、この本は
フィンランドを知るための一冊ではなく、
自分の授業を見つめ直すための一冊として読む価値がある。
そう感じました。

参考文献

  • フィンランド人はなぜ「学校教育」だけで英語が話せるのか
    米崎 みち(著)
    ― フィンランドの英語教育を、制度ではなく学習設計・言語習得の視点から整理した一冊。本記事は本書の内容をもとに、現場教師の視点で考察を加えたものである。

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