i+1って、実際どこで判断してる?
インプット仮説を学んだとき、
多くの英語教師は、こんな言葉に出会います。
i+1
「今のレベル(i)より、
ほんの少しだけ難しいインプット(+1)」
なるほど。
理屈は分かる。
だから私たちは、こう思います。
「生徒に合った英文を出そう」
「少し易しめの英文を使おう」
ここで、少しだけ整理しておきます。
インプット仮説は、
言語学者クラッシャーが提唱した考え方で、
人は、理解できるインプットに触れることで
言語を身につけていくと考えます。
その際によく使われるのが、
i+1 という表現です。
「i」は、今の学習者の状態。
「+1」は、ほんの少しだけ先の要素。
つまり、
まったく分からない英語でも、
完璧に分かる英語でもない
その中間にあるインプットが大切だ、
という考え方です。
理屈としては、とても納得できます。
でも、現場に立っていると、
こんな疑問が頭をよぎります。
i+1って、結局どこで判断してるんだろう。
教科書の英文は、i+1なのか。
音読用の例文は、i+1なのか。
ALTの英語は、i+1なのか。
そもそも、
同じクラスでも、iは全員違う。
私たちは日常的に、
かなり感覚的に判断しています。
- 表情
- 反応
- つまずく場所
- なんとなくの空気
でも、その判断に
言葉を与えてくれるのが、インプット仮説だと思うのです。
インプット仮説は、
「難しい英語を与えろ」と言っているわけではありません。
むしろ、
理解できないインプットは、学習にならない
という、かなり現場寄りの理論です。
たとえば、こんな場面。
教師は丁寧に説明した。
例文も書いた。
生徒も「分かった」と言っている。
それでも、
いざ使わせてみると、
英語が出てこない。
このとき、
私たちはついこう考えがちです。
「まだ練習が足りないのかな」
「理解が浅かったのかな」
でも、別の見方もできます。
そのインプット、本当に“理解できる形”だっただろうか。
- 語彙が多すぎなかったか
- 情報が一気に出すぎていなかったか
- 文法より内容理解に頭が取られていなかったか
インプット仮説は、
こうした問いを、
授業後に振り返るためのレンズになります。
ここで大事なのは、
i+1を「正確に測ろう」としすぎないことです。
教室で、
生徒一人ひとりのiを
数値化することなんて、できません。
でも、
「今のこのインプットは、
少しだけ先に進みすぎていないか」
そう問い直すことは、できます。
インプット仮説は、
授業を縛る理論ではありません。
**授業を“説明できるようにする理論”**です。
なぜ今日は話させなかったのか。
なぜ今日は聞かせる時間を長くしたのか。
なぜ、あえて易しい英文を使ったのか。
その判断に、
「感覚」だけでなく
理論という言葉を添えられる。
それだけで、
教師は少し楽になります。
次回は、
この問いの続きを考えます。
話させれば伸びる、は本当か
アウトプット仮説を手がかりに、
「話す活動」の意味を、もう一度整理します。
インプット仮説は、
万能な答えをくれる理論ではありません。
でも、
今日の授業を振り返るための、
静かな基準にはなってくれる。
それが、
私がこの理論を、今も手放せない理由です。


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