なぜ、教えた順番どおりに身につかないのか
英語の授業をしていると、
こんな場面によく出会います。
もう何度も教えたはずの表現を、
また間違える。
別の単元では使えていたのに、
ここでは使えない。
「さっき教えたよね?」
そう言いたくなる瞬間。
でも、
第二言語習得の視点で見ると、
これは不思議なことではありません。
自然習得順序仮説は、言語の習得には
ある程度の順序があり、
それは必ずしも
教えた順番と一致しない
と考えます。
たとえば、文法的に正しい形を頭では理解していても、
実際の使用場面では
別の形が先に出てしまう。
これは、怠けているからでも、
理解していないからでもありません。
まだ、その形を自由に使える段階に
到達していないだけ
かもしれません。
ここで、第7回の「評価」の話を思い出します。
もし評価が、「教えた内容をすぐ使えたかどうか」
だけを見ていたら、多くの学習は
「できていない」と
判断されてしまいます。
でも私は、
そうは考えていません。
自然習得順序仮説を意識するようになってから、
評価は到達度の判定ではなく、
進行方向の確認
だと捉えるようになりました。
今はまだ使えない。
でも、以前より
使おうとする場面が増えている。
間違いは減っていない。
でも、言い直そうとする姿勢が見える。
それは、学習が止まっているのではなく、
別の場所で進んでいる
というサインです。
だから、私は「まだできていない」
という評価を、すぐには
「教え直し」や
「やり直し」に結びつけません。
英語の授業では、教科書に沿って
文法事項が一定の順番で並んでいます。
この並び順は、
授業を進める上での
大切な道しるべです。
ただ、自然習得順序仮説を意識するようになってから、
私はこの順番を
「その順に身につく前提」では
見ないようにしています。
教科書は、「いつ教えるか」を
示してくれます。
でも、「いつ使えるようになるか」
までは決めてくれません。
ある文法事項を学習した直後に
使えなくても、それを
「理解不足」とすぐに判断しない。
教科書の進行と、
生徒の習得のタイミングは、
必ずしも一致しない
と考えるようにしています。
だから私は、教科書の順番を
守りながら進めつつ、
評価の場面では、
「今はまだ途中段階かもしれない」
という余白を
常に残すようにしています。
それは、教科書を軽視することでは、
ありません。
教科書と、学習者の現実のあいだに
立つのが、教師の判断だ
と思っているからです。
自然習得順序仮説は、
「順番を無視していい」
という理論ではありません。
順番はある。
でも、それは教師が決め切れるものではない
という視点です。
だから、教師にできるのは、
先回りして押し込むことではなく、
使える準備が整うまで、
機会を用意し続けること
なのかもしれません。
次回は、この「順序」や「準備」が
年齢とどう関係するのかを考えます。
大人はもう遅いのか。
子どもは有利なのか。
第9回では、
臨界期仮説を手がかりに、
学習の可能性を
もう一度見直します。


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