生徒は、どこで言語に気づいているのか
英語の授業をしていると、
こんな場面に出会います。
説明を聞いているときは、
うなずいていた。
活動も、なんとなくできていた。
でも、
少し条件が変わると、
急に止まってしまう。
「あれ?」という顔。
そのとき、
私たちはついこう考えがちです。
まだ理解が足りなかったのかな
練習が足りなかったのかな
でも、
別の見方もできる気がしています。
Noticing(気づき)の考え方は、
学習者が言語に“気づくこと”が、
学習の出発点になる
と考えます。
それは、
説明を聞いた瞬間かもしれないし、
活動中かもしれない。
あるいは、
うまく言えなかった瞬間
かもしれません。
第4回で触れた
「活動 → 中間指導 → 活動」の流れを、
思い出してみます。
最初の活動で、
生徒は止まる。
言えない。
迷う。
ここで起きているのは、
失敗ではありません。
「まだ分からないことに、気づいている」
という状態です。
中間指導では、
そのズレを整理します。
何が言えなかったのか。
どこで止まったのか。
どうすれば、少し先に進めそうか。
この時間は、
知識を一方的に与える時間というより、
気づきを言葉にする時間
だと考えています。
そして、
もう一度活動に戻ります。
同じ活動でも、
生徒の視点は変わっています。
「さっき、ここで止まったな」
「この言い方、使えるかもしれない」
この二度目の活動は、
Noticingが起きたあとだからこそ、
意味を持つ。
Noticing仮説は、
「気づかせる活動を入れろ」
という理論ではありません。
生徒が気づく“余白”を、
授業の中に残しておく
という考え方だと思っています。
だから私は、
すべてを最初から説明しすぎないようにしています。
あえて言わせてみる。
あえて止まらせる。
あえて考えさせる。
その中で生まれた
「分からなさ」を、
次につなげる。
気づきは、
教師が与えるものではなく、
生徒の中で起きるものです。
教師にできるのは、
その瞬間を
見逃さず、支えること
だけなのかもしれません。
次回は、
こうしたズレや気づきが、
ときに学習を止めてしまう理由にも目を向けます。
なぜ、分からなさは不安になるのか。
第6回では、
情意フィルター仮説を手がかりに、
「安心して学ぶ条件」を考えてみます。


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