英語教師になってから、第二言語習得理論を考えなくなった話
英語教師になる前、
私は第二言語習得理論が、けっこう好きでした。
インプット仮説。
アウトプット仮説。
インタラクション仮説。
「人はどうやって言語を身につけるのか」という問いは、
知れば知るほど面白くて、
どこか希望のある学問のように感じていました。
「だから、英語教師になろう」と思った部分も、
正直あったと思います。
でも、英語教師になってから、
いつの間にか、私はそれを考えなくなっていました。
今日の50分をどう回すか。
ワークは何分。
ペアは成立するか。
評価はどうするか。
次の行事、次の会議、次の提出物。
気がつけば、
**「理論」よりも「今日」**のことで頭がいっぱいでした。
それは、怠慢でも後退でもなく、
たぶん、現場に立つ教師なら誰もが通る道です。
それでも。
あるとき、ふと立ち止まる瞬間がありました。
授業は、それなりにうまくいっている。
生徒も真面目に取り組んでいる。
活動も成立している。
それなのに、
- 話しているのに、あまり伸びていない気がする
- 分かったはずの文法が、使えるようになっていない
- 頑張っている生徒ほど、英語を嫌いになっていく
そんな場面に、何度も出会いました。
そのとき、頭に浮かんだのは
「指導法」でも
「教材」でもなく、
「これって、どういう学習が起きているんだろう」
という、昔考えていた問いでした。
第二言語習得理論は、
授業のマニュアルではありません。
「これをやれば必ず伸びる」
そんな魔法の答えも、ありません。
でも、今ははっきり言えます。
第二言語習得理論は、
英語教師の“判断”を支える言葉になる。
なぜ今日は話させなかったのか。
なぜ今は説明しなかったのか。
なぜ評価にしなかったのか。
その判断に、
「勘」や「経験」だけでなく、
考えた跡を残せる。
それは、教師にとって
思っている以上に大きな支えになります。
このシリーズ
**「理論が好きな英語教師の、現場メモ」**は、
第二言語習得理論を
研究として解説するものではありません。
また、
「正しい授業」を提示するシリーズでもありません。
ここに書いていくのは、
授業中に迷った場面、
判断に引っかかった瞬間、
そして
なぜ、私はそうしたのかという思考の記録です。
うまくいった話も、
うまくいかなかった話も、
まだ答えが出ていない話も、
そのまま書いていきます。
もし、読みながら、
「自分ならどうするだろう」
と考えたなら、
それも、このシリーズの一部です。

次回は、
英語教師なら一度は信じたことのある問いから始めます。
「わかる」だけで、英語は身につくのか
インプット仮説を手がかりに、
今日の授業の「わかる」を、もう一度見直します。
これは、完成された理論の話ではありません。
考え続けるためのメモです。
ここから、一緒に考えていきましょう。


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