【理論が好きな英語教師の、現場メモ①】

英語教師になってから、第二言語習得理論を考えなくなった話


英語教師になる前、
私は第二言語習得理論が、けっこう好きでした。

インプット仮説。
アウトプット仮説。
インタラクション仮説。
「人はどうやって言語を身につけるのか」という問いは、
知れば知るほど面白くて、
どこか希望のある学問のように感じていました。

「だから、英語教師になろう」と思った部分も、
正直あったと思います。


でも、英語教師になってから、
いつの間にか、私はそれを考えなくなっていました


今日の50分をどう回すか。
ワークは何分。
ペアは成立するか。
評価はどうするか。
次の行事、次の会議、次の提出物。

気がつけば、
**「理論」よりも「今日」**のことで頭がいっぱいでした。

それは、怠慢でも後退でもなく、
たぶん、現場に立つ教師なら誰もが通る道です。


それでも。

あるとき、ふと立ち止まる瞬間がありました。

授業は、それなりにうまくいっている。
生徒も真面目に取り組んでいる。
活動も成立している。

それなのに、

  • 話しているのに、あまり伸びていない気がする
  • 分かったはずの文法が、使えるようになっていない
  • 頑張っている生徒ほど、英語を嫌いになっていく

そんな場面に、何度も出会いました。


そのとき、頭に浮かんだのは
「指導法」でも
「教材」でもなく、

「これって、どういう学習が起きているんだろう」

という、昔考えていた問いでした。


第二言語習得理論は、
授業のマニュアルではありません。

「これをやれば必ず伸びる」
そんな魔法の答えも、ありません。

でも、今ははっきり言えます。

第二言語習得理論は、
英語教師の“判断”を支える言葉になる。


なぜ今日は話させなかったのか。
なぜ今は説明しなかったのか。
なぜ評価にしなかったのか。

その判断に、
「勘」や「経験」だけでなく、
考えた跡を残せる。

それは、教師にとって
思っている以上に大きな支えになります。


このシリーズ
**「理論が好きな英語教師の、現場メモ」**は、

第二言語習得理論を
研究として解説するものではありません。

また、
「正しい授業」を提示するシリーズでもありません。


ここに書いていくのは、
授業中に迷った場面
判断に引っかかった瞬間
そして
なぜ、私はそうしたのかという思考の記録です。

うまくいった話も、
うまくいかなかった話も、
まだ答えが出ていない話も、
そのまま書いていきます。


もし、読みながら、

「自分ならどうするだろう」

と考えたなら、
それも、このシリーズの一部です。


次回は、
英語教師なら一度は信じたことのある問いから始めます。

「わかる」だけで、英語は身につくのか

インプット仮説を手がかりに、
今日の授業の「わかる」を、もう一度見直します。


これは、完成された理論の話ではありません。
考え続けるためのメモです。

ここから、一緒に考えていきましょう。