「心情理解」は、どこまで必要で、どこから危険なのか

― 主人公理解で止まる授業の分岐点 ―


※本記事は、学習指導要領や教科書を解説・要約するものではありません。
現場教師の立場から、道徳の授業が「どこで深まり、どこで止まるのか」を整理した個人の考察です。


心情理解は、道徳授業の「王道」である

道徳の授業と聞いて、
多くの教師がまず思い浮かべるのが心情理解ではないでしょうか。

  • このとき、主人公はどんな気持ちだったのか
  • なぜ、そう感じたのだろうか

心情理解は、長く道徳授業の中心に置かれてきました。
それは決して偶然ではありません。

他者の気持ちを想像することは、

  • 共感を生み
  • 想像力を育て
  • 人との関わりを考える入口になる

道徳の学びにとって、欠かせない要素です。

ここは、まずはっきり確認しておきたい点です。
心情理解そのものは、間違っていません。


それでも、なぜ違和感が残るのか

それなのに、
心情理解を丁寧に扱ったはずの授業で、
こんな感覚が残ることがあります。

  • 生徒は真剣に考えていた
  • 発言も出ていた
  • でも、深まった感じがしない

「主人公の気持ちは、よく分かったはずなのに……」

この違和感は、
心情理解が足りなかったからではありません。

むしろ、
心情理解だけで授業が終わってしまったときに、
生まれやすい感覚です。


心情理解が「目的化」した瞬間に起こること

道徳の授業が浅くなるとき、
しばしば次のような状態が起こっています。

  • 心情を考える
  • 心情を言葉にする
  • 心情を共有する

そして、その時点で
「よく考えられた」「話し合いが深まった」
と判断してしまう。

ここで起きているのは、
**心情理解の「目的化」**です。

本来、心情理解は
学びを深めるための手段であるはずでした。

しかしそれが、

心情を理解できた

学びが成立した

という構図にすり替わった瞬間、
授業は主人公理解の外側で止まってしまいます。


「主人公を理解した」と「自分が変わった」は違う

ここで、決定的に押さえておきたい点があります。

それは、

主人公を理解したこと

生徒自身の価値観が揺れたり、組み替わったこと

は、まったく別の出来事だということです。

主人公の気持ちを理解することは、
他者理解の一歩です。

しかし、道徳科で本当に育てたいのは、
生徒自身がどう考え直したか
という内面の変化です。

  • 自分ならどうするだろうか
  • これまで当たり前だと思っていた考えは、本当にそうか
  • 別の見方はあり得ないか

こうした問いは、
心情理解の先に置かなければ生まれません。


心情理解と「価値の再構成」は別物である

ここで重要になるのが、
価値の再構成という視点です。

  • 心情理解:
    他者の内面を「分かる」こと
  • 価値の再構成:
    自分の価値観が「揺れ、組み替わる」こと

心情理解は、
価値の再構成への入口にはなり得ます。

しかし、
自動的に価値の再構成が起こるわけではありません。

心情をどれだけ丁寧に考えても、
そのままでは
「やっぱり思いやりは大切だよね」
という既知の結論に戻ってしまうことがあります。


氷山モデルが示す、道徳授業の本質

(※ここに氷山モデルの図を掲載)

この氷山モデルが示しているのは、
道徳の学びには
見えやすい層と、見えにくい層がある
ということです。

水面の上に見えているのは、

  • 行為・行動
  • 教材の状況
  • 登場人物の心情

といった、扱いやすく、言語化しやすい部分です。

しかし、
氷山の最下層に位置づけられているのは、

道徳的価値に対する
・考え方
・感じ方
・そして、生き方

です。

行為や心情を扱うこと自体が目的なのではありません。
それらはすべて、
この氷山の下にある価値の捉え方や生き方を考えるための手段です。


氷山の下に届くかどうかは「発問」で決まる

では、
生徒の思考を氷山の下まで導くために、
教師に何が求められるのでしょうか。

それは、
発問を精選することです。

  • 心情を確認するだけの問い
  • 行動の是非を問うだけの問い

で授業を終えてしまえば、
思考は水面付近にとどまります。

一方で、

  • その価値を、自分はどう受け止めたのか
  • もし立場が違ったら、考えは揺らぐのか
  • これまでの自分の考えは、本当に十分だったのか

といった問いは、
生徒の思考を
価値の捉え方や生き方の層へと引き下ろします。


発問は「すぐに真似できるもの」ではない

ここで一つ、注意しておきたいことがあります。

発問は、
文言そのものよりも、

その問いが
どの層に思考を届けようとしているのか

という視点がなければ、
形だけが真似されてしまいます。

だからこそ本連載では、
いきなり発問例を示すことはしません。

まずは、

  • なぜ問いが浅くなってしまうのか
  • なぜ予定調和の答えに収束してしまうのか
  • 教師の問いは、どこで思考を止めているのか

という構造の理解を、段階的に積み重ねていきます。


第4回では、具体的な発問例を扱います

その構造を十分に共有したうえで、
第4回ではじめて、具体的な発問例を提示する予定です。

第4回では、

  • 氷山の上で止まってしまう問い
  • 氷山の下に思考を導く問い

を対比させながら、

どのような問いが、
生徒に「考え方・感じ方・生き方」を
本当に問い返しているのか

を、具体的な形で整理します。

単なる「使える発問集」ではなく、
問いを見る目をもったうえで選び取るための発問例を示すことが、
第4回の目的です。


第2回のまとめ

心情理解は、
道徳授業において必要不可欠です。

しかし同時に、
それだけでは深まりは生まれない
という限界も持っています。

道徳が深まるかどうかは、

  • 心情をどれだけ扱ったか
    ではなく
  • 心情理解の先に、何を置いたか

で決まります。

その分岐点にあるのが、
教師の問いであり、
発問の精選なのです。


次回予告

次回は、
なぜ教師は「分かり切った答え」を言わせてしまうのか
というテーマを扱います。

問いは、
思考を動かすことも、
止めてしまうこともあります。

その違いを、
教師側の視点から掘り下げていきます。

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