第1回|なぜ、道徳の授業は「浅くなりやすい」のか

― 感想共有で終わる授業の構造を読み解く ―


※本記事は、学習指導要領や教科書を解説・要約するものではありません。
現場教師の立場から、道徳の授業が「どこで深まり、どこで止まるのか」を整理した個人の考察です。


「悪くはない。でも、深まった気がしない」

道徳の授業を終えたあと、
こんな感覚が残ることはないでしょうか。

  • 生徒は発言していた
  • 話し合いも成立していた
  • それなのに、どこか手応えが薄い

「失敗ではない。
でも、“よい授業だった”と言い切れない。」

この違和感は、決して珍しいものではありません。
そしてそれは、教師の努力不足や力量の問題だけで起こるものでもありません。

むしろ、道徳という教科そのものがもつ構造が、
授業を浅く終わらせやすい条件を含んでいるのです。


道徳は「話し合いが成立しやすい」教科である

道徳は、生徒にとって発言しやすい教科です。

  • 正解が一つではない
  • 自分の感じたことを言ってよい
  • 経験や感情と結びつけやすい

そのため、

  • 感想が出る
  • 意見が並ぶ
  • 話し合いが続く

という状態は、比較的自然に生まれます。

しかし、ここに一つの落とし穴があります。


「話せている」と「考え直している」は別物

道徳の授業では、次のような発言をよく耳にします。

  • かわいそうだと思いました
  • 勇気があると思いました
  • すごい行動だと思いました

これらは、教材を理解した結果としての
ごく自然な反応です。

ただし、ここで立ち止まる必要があります。

それは本当に、
生徒の考えが動いた結果なのでしょうか。

それとも、

  • 教師が想定していた方向に
  • 予定通りの言葉が
  • きれいに並んだだけ

なのでしょうか。

多くの場合、生徒はすでに、

  • 思いやりは大切
  • 正直であるべき
  • ルールは守るべき

という価値を知っています。

感想共有で終わる授業では、
**価値の「再確認」**は起きても、
**価値の「再構成」**は起こりにくいのです。


道徳が浅くなる典型的な授業構造

多くの道徳授業は、次のような流れをたどります。

  1. 教材の状況を整理する
  2. 登場人物の行為を追う
  3. 心情を考える
  4. 感想を共有する

この流れ自体は、間違いではありません。

問題は、
④がゴールになってしまうことです。

心情理解や感想共有は、
「考えたように見える地点」ではありますが、
必ずしも「考え直した地点」ではありません。


なぜ「分かり切った答え」に着地してしまうのか

授業が浅く終わるとき、
話し合いは次のような言葉に収束しがちです。

  • 思いやりが大切
  • 相手の気持ちを考えるべき
  • ルールは守らなければならない

どれも正しい。
しかし同時に、授業の最初から共有されている価値でもあります。

生徒は、

  • 教師の期待
  • 教室の空気
  • これまでの学習経験

を読み取り、
「場に合う答え」を選んで発言します。

そこにあるのは、
思考の挑戦ではなく、適応です。


道徳の「深い学び」は、どこで生まれるのか

では、道徳における深い学びは、
どこで生まれるのでしょうか。

それは、

  • 自分の考えが揺れた瞬間
  • 当たり前だと思っていた価値に違和感をもった瞬間
  • 他者の考えによって、見方が広がった瞬間

です。

つまり、
「分かった」ではなく「迷った」瞬間に、
道徳の学びは深まり始めます。


深まりを妨げているのは、生徒ではない

ここで強調しておきたいのは、
道徳の授業が浅くなる原因は、
生徒の意欲や発言の質ではないということです。

多くの場合、

  • 問いが、答えに近すぎる
  • 結論が、最初から見えている
  • 教師が「よいまとめ」を急いでいる

こうした授業設計そのものが、
思考の揺れを起こしにくくしています。


第1回のまとめ

道徳の授業が浅くなるのは、
失敗しているからではありません。

むしろ、

うまく進みすぎている

からこそ、
思考が揺れないまま終わってしまうのです。


次回予告

次回は、
「心情理解」はどこまで必要で、どこから危険なのか
というテーマを扱います。

心情理解は、
道徳授業に欠かせない一方で、
深まりを止めてしまう分岐点にもなります。