――発問の数を減らすことで、道徳は深まる
道徳の授業が浅く終わってしまうとき、
問題は問いの数や工夫が原因な場合もありますが、
大抵は、
問いが「氷山のどの層を回っているのか」を、
教師自身が見失っていることにあります。
これまで本連載では、
- 第1回:道徳が浅くなりやすい構造
- 第2回:氷山モデルで捉える道徳の学び
- 第3回:問いが回っている「層」を見失う危険
について整理してきました。
第4回ではいよいよ、
氷山の下に届く問いが、実際の授業でどのように配置されているのかを
具体的に見ていきます。
目次
氷山の下に入っていく問いには「型」がある
氷山の下に届く問いは、
思いつきやセンスだけで生まれるものではありません。
多くの場合、
**思考を下へと導く「観点」**が意識されています。
代表的な観点として、次のようなものがあります。
- 大切にしていたもの
- 背中を押したもの
- 心の支えとなったもの
- 変わったもの
- 足りなかったもの
これらは、
心情理解で終わらず、
価値の揺れや再構成へと思考を運びやすい観点です。
ただし、
これらをすべて問いとして投げる必要はありません。
生徒に投げる「大きな問い」は、3〜4問で十分
ここで、はっきりさせておきたいことがあります。
実際の授業で、生徒に投げる
「大きな問い」は、せいぜい3〜4問で十分です。
問いを増やしすぎると、
- 一つ一つを考える時間
- 立ち止まって迷う時間
- 書いて振り返る時間
が削られてしまいます。
道徳の深まりは、
問いの数で決まるのではありません。
一つの問いに、どれだけ時間をかけられたかで決まります。
実際の授業では、問いはこう配置されている
以下は、
中学校道徳の授業で用いられた指導案をもとに、
発問部分のみを再構成したものです。
細かな問いは省き、
生徒の思考を支えていた
「大きな問い」だけを抜き出しています。
授業で投げられていた「大きな問い」
- この行動の背景で、登場人物は何を大切にしていたのだろうか。
- そのとき、登場人物の心を支えていたものは何だったのか。
- この出来事を通して、登場人物の中で何が変わったのだろうか。
- この物語は、あなた自身の生き方に何を問いかけているだろうか。
一見すると、
特別に変わった問いではありません。
しかし、これらの問いはすべて、
- 行為や感情の確認で終わらず
- 価値の背景へと思考を運び
- 最後は生徒自身の生き方へ返る
という構造をもっています。
問いが少ないからこそ、
一つ一つの問いに立ち止まり、
考え続ける余白が生まれているのです。
問いは「答えを引き出すためのもの」ではない
氷山の下に届く問いには、
はっきりした正解がありません。
沈黙が生まれることもあります。
意見が割れることもあります。
しかし、その沈黙や迷いこそが、
思考が氷山の一番下に触れ始めているサインです。
問いは、
答えを言わせるための道具ではなく、
考え続けるための環境づくりの一部なのです。
次回予告
次回(第5回)では、
今回扱った「大きな問い」を支えるために、
- どんな小さな問いが機能しているのか
- どこで問いを止め、どこで待つのか
といった、
教師の立ち位置・関わり方に焦点を当てていきます。
問いを「投げる」だけではなく、
問いと共に、どう在るか。
そこに、
道徳の授業が深まるもう一つの鍵があります。


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