――問いの前にある「テーマ」という背骨
同じ教材を使っているのに、
あるクラスでは議論が深まり、
別のクラスでは浅く終わってしまう。
こうした経験をしたことがある教師は、
少なくないのではないでしょうか。
その差を生んでいるものは、
発問の巧みさや話し合いの工夫だけではありません。
私は、
授業の深さを決めているのは「テーマ」である
と考えています。
目次
テーマは「めあて」に近いが、同じではない
テーマは、
普段の授業で言う「めあて」に近いものです。
しかし、
道徳の授業におけるテーマは、
一般的なめあてとは決定的に異なる点があります。
それは、
テーマを必ず「疑問文」でつくる
ということです。
テーマは、必ず疑問文でつくる
例えば、
- 「いじめについて考えよう」
という表現は、
授業の方向を示すめあてにはなります。
しかし、
これだけでは、生徒は
「何について」「どこまで」考えればよいのかが
まだはっきりしません。
一方で、
- 「いじめをなくすことは、なぜ大切なのだろう」
と疑問の形にすると、
そこに問いが生まれます。
問いがあることで、生徒は、
- 今、何を考える時間なのか
- どこに立ち返ればよいのか
を意識しながら、
課題意識をもって授業に臨むことができます。
テーマは「生徒がすでに知っている価値」にしない
テーマを設定するとき、
私が特に意識していることがあります。
それは、
生徒がすでに知っている価値を、そのままテーマにしない
ということです。
小学校までの道徳の学習を通して、
生徒はすでに多くの道徳的諸価値に触れています。
- 思いやり
- 正直
- 命の大切さ
- 協力することの大切さ
こうした価値そのものを
そのままテーマにしてしまうと、
授業はどうしても「確認」に終わってしまいます。
中学校の道徳では、
価値を知っていることではなく、
価値について考え直すことが求められます。
テーマは「知らない価値」に迫るための疑問文である
だからこそ、
中学校の道徳のテーマは、
小学校で学んだ道徳的諸価値を土台にしながら、
今の生徒がまだ十分に知らない価値に迫るための疑問文
として設定したいと考えています。
疑問文にすることで、
- 答えを前提にしない
- 立場の違いが生まれる
- 簡単に決めきれない
といった、
議論の余地が自然と生まれます。
テーマは、
価値を教えるための文ではなく、
価値に出会い直すための問いなのです。
テーマは、教材の「価値に気付く場面」と結びつける
テーマは、
教材から切り離して考えるものではありません。
特に意識しているのは、
登場人物が価値に気付く場面との関連です。
物語の中で、
- 自分の行動を振り返る
- 迷いや葛藤に向き合う
- 価値を自覚する
こうした瞬間は、
教材の中で価値が立ち上がる重要な場面です。
テーマは、
この場面と結びつくことで、
教材の展開と自然につながり、
授業全体の軸として機能します。
テーマと中心発問は、同じ方向を向いているか
テーマは、
中心発問とも深く関わっています。
- テーマ:授業全体で考え続ける軸
- 中心発問:教材を通してテーマに迫る入口
この関係が整理されていないと、
- テーマは抽象的
- 発問は場面限定
というズレが生まれてしまいます。
だからこそ、
テーマと中心発問が、
同じ価値の方向を向いているかを
常に意識することが大切だと考えています。
テーマがあるから、振り返りが深まる
振り返りの時間に、
生徒が何を書けばよいか迷わないためにも、
テーマは重要な役割を果たします。
テーマが疑問文として明確であれば、
- 自分は、この問いについてどう考えたのか
- 授業を通して、考えはどう揺れたのか
- まだ答えきれていない部分はどこか
といった、
思考の途中経過を言葉にすることができます。
振り返りが感想で終わるか、
考え続ける文章になるかは、
テーマ次第だと言っても過言ではありません。
まとめ
道徳の授業は、テーマで深まる
テーマは、
授業のはじめに掲げる言葉ではありません。
それは、
- 議論の途中で立ち返る場所であり
- 振り返りで考え直す軸であり
- 授業全体を貫く背骨
です。
問いの数や話し合いの工夫よりも前に、
どんなテーマを設定しているか。
その一点が、
道徳の授業の深さを決めているのだと思います。
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