――私は「対話」と「判断を遅らせる活動」に注目している
※本記事は、学習指導要領や行政資料の解説・代弁を目的としたものではありません。
現場で道徳の授業を行う一教師としての経験や実感をもとに、
「道徳的価値がどこで、どのように深まるのか」について整理した私見です。
目次
「活動は成立している」のに、深まらないと感じる理由
問いを立て、
話し合いを行い、
振り返りも書かせている。
それでも授業後、
「この時間で、子どもたちに何が残ったのだろう」
と感じてしまうことがあります。
私はこの違和感を、
授業準備や指導技術の不足ではなく、
道徳的価値と活動との距離の問題だと考えています。
活動は成立している。
しかし、価値が動いているとは限らない。
このズレをどう捉えるかが、
道徳授業の難しさであり、面白さでもあります。
道徳的価値は「理解した瞬間」に深まるわけではない
道徳では、
価値を「分かること」が重視されがちです。
もちろん、
その価値が何を意味しているのかを理解することは大切です。
ただ、私の実感として、
理解した瞬間に価値が深まることは、ほとんどありません。
むしろ、
- 分かったはずなのに迷う
- 正しいと思った考えに引っかかる
- 他者の意見で揺さぶられる
こうした揺れの中で、
価値は少しずつ、自分のものになっていくように思います。
三つの「対話」で深まる
これまでの授業経験から、
私は、道徳的価値が深まる場面には
三つの対話が関わっていると考えています。
それが、
- 教材との対話
- 他者との対話
- 自己内対話
です。
① 教材との対話
――物語を「理解する」から、「引っかかる」へ
教材との対話とは、
物語を正しく読み取ることではありません。
- 登場人物の行動に違和感を覚える
- なぜそうしたのかが腑に落ちない
- 共感できない部分が残る
こうした引っかかりが生まれたとき、
教材は「読むもの」から
「考え続けるもの」へと変わります。
私は、
教材をきれいに読めなかったときこそ、
対話が始まっていると感じています。
② 他者との対話
――意見交換ではなく、考えが揺らぐ経験
話し合い活動の目的は、
意見をたくさん出すことではありません。
- 自分の考えが、そのまま通用しなくなった
- 他者の意見で判断が止まった
- 「どちらも分かる」と感じてしまった
こうした瞬間に、
他者は「意見の提供者」ではなく、
自分の考えを揺さぶる存在になります。
他者との対話とは、
意見を交換することではなく、
自分の判断が揺らぐ経験だと、私は捉えています。
③ 自己内対話
――声に出ない時間を、急がせない
三つ目が、自己内対話です。
- ノートに手が止まる
- 発言しようとして言葉が出ない
- しばらく黙り込む
こうした時間の中で、
子どもは
「自分はどう考えているのか」
「本当はどうしたいのか」
を、内側で探っています。
私は、
この声に出ない対話こそが、
道徳の学びの核心に近いものだと感じています。
多面的・多角的に考えるとは
多面的・多角的に考えるという言葉は、
道徳の授業でよく使われます。
私自身も、この考え方を大切にしています。
ただ、
視点を増やすこと自体が目的ではない
とも感じています。
私にとって多面的・多角的とは、
自分が拠り所にしていた判断が、
そのままでは通用しなくなる状態をつくること
です。
三つの「思考の動かし方」
① 立場の転換
――別の役になることが目的ではない
立場の転換とは、
登場人物になりきることではありません。
自分が「当然だ」と思っていた判断が、
別の立場では揺らいでしまう。
その経験こそが重要だと考えています。
② 比較・対比
――違いを見つけるためではない
比較・対比の目的は、
どちらが正しいかを決めることではありません。
どちらの考えにも理由があり、
簡単に優劣をつけられない状態をつくる。
そのとき、思考は
「正解探し」から「判断の根拠」へと移っていきます。
③ 整理・分類
――きれいにまとめるためではない
整理・分類は、
答えをまとめるための活動ではありません。
どこに入れるか迷う意見や、
どの分類にも当てはまらない考えが残ったとき、
価値の複雑さに触れていると感じます。
三つに共通しているのは、「判断を遅らせること」
立場の転換、比較・対比、整理・分類。
これらに共通しているのは、
子どもに早く答えを出させないという点です。
すぐ決められない。
判断を保留せざるを得ない。
もやもやが残る。
私は、
この状態をつくることこそが、
多面的・多角的に考える活動の本質だと考えています。
教師の役割は、「まとめること」ではない
教師ができるのは、
価値を分かりやすく整理して示すことではありません。
- 揺れが生まれる問いを残す
- 判断を急がせない
- 沈黙を不安がらない
こうした環境を守ることが、
教師の重要な役割だと感じています。
おわりに
道徳の授業に、型や活動は必要です。
ただ、それらは価値を生み出すための準備にすぎません。
価値そのものは、
教師の思惑通りには動かない。
だからこそ、
揺れを恐れず、
未完成なまま終える勇気を持つ。
私は、
そこに道徳を教える教師の専門性があると考えています。


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