――議論する道徳を支える教師の立ち位置
「議論する道徳」が求められるようになり、
多くの授業で話し合いの場面が設けられるようになりました。
しかし、ここで一度立ち止まって考えてみたいことがあります。
議論する道徳とは、
本当に「たくさん話すこと」なのでしょうか。
本連載では、
議論する道徳を、
単なる意見交換や結論づくりとしては捉えていません。
目次
議論する道徳とは、「価値が揺れ続ける過程」である
本連載が考える「議論する道徳」とは、
意見を出し合って正解にたどり着くことではありません。
それは、
- 価値の違いが立ち上がり
- 立場が揺れ
- 簡単には答えが出ない状態を引き受けること
その過程そのものです。
議論とは、
考えを整理するための活動ではなく、
未整理なまま考え続ける時間なのだと言えます。
問いを投げた瞬間、議論はまだ始まっていない
問いを投げた直後、
生徒の頭の中では、
- 自分はどう考えるか
- 周囲はどう考えそうか
- どこまで言ってよいのか
といった思考が、同時に走っています。
この段階では、
まだ議論は始まっていません。
議論の前には、
必ず「立場が定まらない時間」が存在します。
この時間を、
教師が急いで埋めてしまうと、
議論は立ち上がる前に終わってしまいます。
議論が生まれにくくなる教師の「無意識の動き」
議論する道徳を意識していても、
次のような教師の動きがあると、
議論は深まりにくくなります。
- 価値語でまとめてしまう
- 発言を評価し、良し悪しをつける
- 「つまり〇〇だね」と方向づける
- 意見を一つに集約しようとする
これらは、
秩序を保とうとする誠実な行為です。
しかし同時に、
価値の違いを早く消してしまう行為
にもなり得ます。
議論する道徳で大切なのは、
意見の一致ではなく、
価値の違いが見え続けることです。
「待つ」とは、議論が立ち上がる余白を守ること
道徳の授業における「待つ」とは、
沈黙を放置することではありません。
それは、
- 異なる立場が現れる可能性を残すこと
- 言い切れない意見が形になるのを待つこと
- 対立や違和感が消えないように支えること
という、
議論の芽を守る教師の立ち位置です。
教師が前に出すぎないことで、
- 生徒同士の視線が増え
- 意見が教師ではなく他者に向かい
- 「違ってもよい」という空気が生まれます
ここではじめて、
議論が立ち上がります。
議論を深めるために、教師が「揺さぶる」こともある
議論する道徳において、
教師は常に「待つ側」でいなければならない、
というわけではありません。
ときには、
意図的に議論を揺さぶる役割を引き受けることもあります。
ただしそれは、
生徒の意見を否定することではありません。
価値が一つに固まりそうな瞬間に、
あえて別の視点を差し込む行為です。
生徒の意見に、揺さぶりをかける発問
例えば、生徒から
「それは○○が悪いと思う」
という意見が出たとします。
そのとき教師が、
- 「本当に、それだけで言い切っていいのだろうか」
- 「もし別の立場だったら、どう見えるだろう」
と問い返すことで、
議論は再び動き出します。
ここで重要なのは、
教師自身の答えを示さないことです。
揺さぶりは、
結論を導くためではなく、
議論を広げるためのきっかけです。
あえて、道徳的諸価値とは逆のことを言ってみる
議論が特定の価値に収束しそうなとき、
教師があえて、
- 「でも、○○しないという選択も大切ではないだろうか」
と、
一般的に「望ましい」とされる価値とは
逆の視点を提示することもあります。
これは、
その価値を否定するためではありません。
むしろ、
その価値は、
本当に自分の中で選び取られているものなのか
を、生徒自身に問い返すための行為です。
価値は、
揺さぶられたときにこそ、
自分のものになります。
一人の意見を、教室全体の議論に開く
生徒の一つの意見を、
その生徒だけのものに留めないことも重要です。
- 「この意見について、どう思いますか」
- 「グループで、この考えをどう受け止めるか話してみよう」
- 「別の見方はありそうかな」
と、
意見を教室全体、グループ、ペアへと開く。
こうして意見は、
「正しいかどうか」ではなく、
**「どう考えるか」「どう向き合うか」**の対象になります。
議論の主語が、
教師と一人の生徒から、
生徒同士へと移る瞬間です。
教師自身も、議論の中で学ぶ存在である
議論する道徳において、
教師は常に「正しい立場」に立つ必要はありません。
むしろ、
教師自身も、生徒の意見から学ぶ姿勢を見せることが、
議論を深める大きな要因になります。
- 「その考え方は、正直考えたことがなかった」
- 「今の意見で、見方が少し変わった」
- 「大人の自分にも問い返される」
といった言葉は、
教師の権威を下げるものではありません。
価値は、
誰かから教えられるものではなく、
対話の中で、共に考え続けるものだ
という、
道徳の本質を体現する行為です。
まとめ
議論する道徳とは、
活発な話し合いのことではありません。
それは、
価値が揺れ、立場が交差し、
簡単には答えが出ない時間を、
教室全体で引き受ける学びです。
問いは、
投げた瞬間に力をもつのではありません。
問いは、
議論が立ち上がり、
考え続けようとする関係が生まれたときに、
はじめて意味をもちます。
その議論を支えているのは、
- 価値を早く固定しないこと
- 必要なときに揺さぶりをかけること
- 一人の意見を、教室全体の思考に開くこと
- そして、
教師自身も、生徒の意見から学び続ける姿勢を示すこと
です。
教師が、
「正しい答えを導く人」ではなく、
問いの中に共に立ち、
考え続ける一人の参加者として在るとき、
議論は操作ではなく、対話になります。
議論する道徳とは、
教師も生徒も、
価値について考え続ける関係をつくること
なのだと思います。
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